
おっと、その前にキミたちは
「劇的」(ドラマチック)という言葉を
聞いたことあるよね?「劇」ってなんだろうか?
劇という漢字を見てみようよ。
ご存知のように漢字は偏(へん)と旁(つくり)でできています。
劇という漢字の右側「り」のような形の、つまり旁は「りっとう」といって
「刀(かたな)」を意味しているんだよね。
そしてもう一方の左側の偏は「虎(とら)」を示している。
つまり「劇」とは 虎と刀の戦い、葛藤を表しているんだ!

劇的とは何かと何かと何かのたたかい、葛藤(かっとう)を示すんだよ。
何かが劇的であるとはある感情とかある力が
相克(そうこく)して火花を散らすという状態かな…
言ってみれば。
キミたちは今までの人生でドラマチックな劇的な経験をしたことがあるだろうか?
もしまだあまりないならば、ぜひ実際に経験する前にそれらを舞台で疑似体験してみようぜ!!
「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメを
ご存知だろうか?
ちまたでは通称「エヴァ」いわゆる「エヴァ」オタクがその猛威を振るったのはすでに過去。しかし、根強いエヴァファンは今も様々な話題、メッセージをエヴァの中に見出している。
知っている人はそれなりに味わえるが、
もしキミがエヴァをまったく知らなくても見てほしい動画がある。
細かい背景など、知らなくてもよい、ただ
次の動画を見て何かを感じてほしいのだ!!
僕はこのシーンに劇的表現の真髄をみたのだ!!
一言でいえば、友人同士が自分たちの意志に反して殺し合いをするという極めて残酷なシーンなのだ!!
それがある手法でよりドラマチックに描かれている。
なぜだろうか? ぜひ感じてみてくれ!
ただ一応、基本的な情報だけでももっと知りたいと思うキミには
なるべく簡単にそっと知らせよう。
「新世紀エヴァンゲリオン」映画「破」の大まかな知識
人類を襲う「使徒」と呼ばれる謎の敵と戦うために作られたのが巨大なロボットのような人造人間エヴァンゲリオン。(でもそれらが作られた本当の理由は謎が多い)
これに人が乗り込むことによって敵と戦うことができる。
いったん乗り込むと、パイロットとエヴァの神経を接続する操縦システムなので、
パイロットが「動け!」と思ったら動くし「走れ!」と思ったら走る。
しかし、最大の欠点はエヴァンゲリオンが攻撃を受けるとパイロットまで痛みを感じる。
アニメ作中ではエヴァンゲリオンが腕をもぎ取られたり、頭をもぎ取られたりしているが、そのつどパイロットは激痛を味わうのだ。
そのせいか主人公のパイロットは何度か脱走して「もう乗りたくない」と言っている。
さて、
主人公のパイロットの
シンジとアスカは同志であり、友達。

だが、ある日アスカが乗ったエヴァが敵である「使徒」のコントロール下におかれ、
シンジの乗るエヴァと戦うことになってしまう。
シンジは戦いをなんとか拒もうとするが、
指令部よりシンジのエヴァはダミーシステムという自動運転にされ、
自分が乗るエヴァが自分の意思に反して、アスカのエヴァを敵とみなして攻撃を開始。
2体のエヴァは
互いに殺し合いを始めるという悲劇的シーン です。
さあ、見てみよう。ただ感じてみてください。
… 特にこのシーンの内容とその背景音楽の関係を意識しながら…
さあ、この動画を見て何を感じたかをワークシートに書き込もう。
そしてそれがなぜそう感じるようになったのかを自分なりに考えてみよう。
なぜ僕(カンジヤマA)はパントマイムに惚れてしまったのだろうか?
実は 始まりはパントマイムではなく、
アメリカの演劇 だったのだ。
僕は大学進学の時に学部を選択するときに、本当に自分の好きなことをするのではなく、
親が進める「就職に有利な」いわゆる「つぶしが効く」といわれていた学部を
選んでしまったのだ。
するとどうだろうか、大学に入って授業にでても、
本当に好きで選んだ学部ではなかったので、授業が面白くなかった。
授業の内容に興味をもてなかったのだ。
僕は地頭が良いほうではなく、
どちらかというとのんびり、ゆっくりと自分の好きなことをこなすタイプでした。
だから単に英語が話せたらカッコいいだろうな~という軽いノリで始めた英語が楽しくて、それを少しでも使える英文科に行きたかった。でも行ったのは、「就職に有利な」経済学部…

来る日も来る日もつまらない日々が続いた。
そしてついには授業をさぼるようになってしまった。
授業というのは一度さぼると、さぼり癖のようなものがつき、
徐々に出ないのが当たり前になってしまう。
だが、そんな時、当時の英文科の授業にすごい有名な先生がアメリカ文学、
特に劇文学を教えていることを発見!
どうせ暇だからとその先生の英文学の戯曲のクラスにもぐりこんだ。
そこである衝撃を受けることになったのだ!!
当時腰を抜かすほど衝撃的な劇だったのは、
アメリカ人のマレー・シスガルという作家の「タイピスト」という一幕劇。
たった一幕の劇で登場人物もたった2人だけという短い劇だ。
舞台は広告のあて名書きの会社のオフィス。ある朝から劇は始まる。
1人の青年が新たにタイピスト(昔はタイプライターを打つ専門職でした)として
この会社に入ってきます。
彼は夜間の法律学校に通っており、
「僕はこのままでは終わらない、これは一時の仮の仕事で、いずれは弁護士になるんだ」と将来を夢見る意気揚々とした若者。
そしてこの会社にはもう1人の若い女性が、やはりタイピストとして働いています。
この2人が同じオフィスでタイプライターのキーを打ちながら
様々な夢、希望、愚痴などの会話を交わしてゆくという、ごく日常的な単純な設定。
お互いに親密になったり、喧嘩したり、その仕事の会話の合間に
各々が舞台の両袖に設定された上司の部屋やら洗面所に出入りするのだが、
そのたびに2人は観客にわからない程度に年齢を重ねてゆくメークをほどこしていく。
やがて朝から始まった仕事はランチタイムを経て、夕刻の終業時間になり、2人が帰ろうと立ち上がると、いつの間にか彼らは腰をかがめた老人になっているのだ!!
そこで2人の一生がこのオフィスで過ごされたという現実を観客は目のあたりにするのです!
頼りない仕草でヨレヨレのコートをはおり、オフィスから黄昏の街にでようとするそのせつな、2人の老人は床に落ちた紙くずをひろい、そして呟く。
「ほう、私たちはこんな広告のあて名打ちをしてきたんだね。」
2人は初めて自分たちのやっていた仕事に注意をはらい、そして気づくのである。
現在ではこの種の戯曲はそんなに珍しくはないのかも知れないが、
当時この戯曲を授業で読んだ時、
私は実になんとも言えない衝撃に襲われました。
つまり 空間、時間があまりにも巧みに歪められた ことにより、人間の一生という現実がより一層リアルさを増して私の感覚に訴えられてきたのだ。
同じ行為の繰り返しを無意識に重ねる日常の日々、
そしてそれに気づかずにいつの間にか年齢を重ねてやがて終わって行く私たちの一生。
それが見事に1日の出来事に凝縮されていたのです。
同時にこの表現の方法はどんなにじょうぜつな言葉の羅列よりもはるかに説得力とインパクトをもっていたのです。
この日から僕はこの 創造的に物事を(時間や空間を)
歪めて表現することで
その物事の真髄をよりリアルに表現する方法 の虜になってしまったのです。
これはすごい方法だと惚れてしまったのです!

その数か月後、現代マイムの巨匠であるマルセル・マルソーという、20世紀にパントマイムを世界で大流行させたフランスの芸術家が来日した。
その舞台をたまたま親友に誘われて観に行った僕は、
この「時間と空間を歪めて物事の真髄をよりリアルに表現する究極の形」を見出したのです。
マルソーの体は舞台上で数分間動くうちに人間の一生を演じきってしまったのです!!
この見事な演技と芸術に僕は感動してしまい、パントマイムを始めたのです。
舞台芸術の劇的テクニック:様々なものをわざと創造的に歪めながら、
ある事柄のエッセンスをよりリアルに表現する方法は色々あります。
例えば今までこの項で見てきた
「悲しい場面で、それとは全く違う和やかな、あるいは懐かしく郷愁をさそうような音楽を流す」方法だったり、
「人間が日常生活をしているうちに周りの時間が極端に早回りして、その成長、老いが強調される」だったり、といった方法を見てきましたね。
これら、ある事象を歪めたり、違和感をわざと持たせたりすることで、
見ている人が自分の中に葛藤(劇という字の語源でしたね!!)を感じ、
それを解決するべく自ら積極的にそれらの関係を理解しようと試みるところから、
これらのテクニックは劇的となるのですよ!!
これをカンジヤマA君は
「創造的歪み:クリエーティブ・ディストーション Creative Distortion」と
呼んでいます。これはA君独自の呼び方です。
そこで最後にもう1つ面白いテクニックを紹介しましょう。
カニッツァの三角形 というものです。
これはもともと人間の物事に対する認知方法についての理論です。
イタリアの心理学者のカニッツァによって提示されたものです。
図1を見てほしい(図1)。

ここに描かれているのはパックマンのような、(食べかけのピザのような)
一部が欠けた黒い円と、黒い線で描かれた3つの鋭角ですね。
しかし、この中央部分にキミ達は実際には描かれていない白い三角形を見ていないでしょうか? この無いはずなのに見える正三角形の輪郭は
「主観的輪郭」(subjective contours)と呼ばれて、
脳が今までの経験から、その描かれた部分を連結して見えない部分を補って、白い三角形があると判断しているのだそうです!
面白いでしょう?
つまり人間の脳というのはすべてをそのまま提示されなくとも、
その要所要所、エッセンス的な部分のみをガイドとして提示してやれば、
その他の欠如部分を自ら補い、経験によって全体像を作り上げる習性があるのだそう です。
そしてこの補足行為によって主観的輪郭はよりリアルに見えてくるのです。
これは脳が提示されるイメージに対して単に受け身的な傍観者としているのではなく、
その形の創造/想像のプロセスに自分が参加して、積極的に経験などを駆使するから
よりリアルな印象になる のだそうです。
この原理が実はマイムにも応用されているのですよ!! それを説明してみましょうね。
では、この不思議な脳のプロセスの順序を逆の立場から観察してみましょう。
つまり、今までは見る側にたってこの三角形を考えてきたのですが、
今度はこれを造る側の立場、創造する立場になってみてみましょう。

図2のような実際の三角形を描くには通常、直線を3本使って三角形を描くよね?
じゃあ、今度はあえてこれらの線3本を使わずに、
見ている人の脳にわざと参加させて補完させるように仕組んで、
その人の脳に三角形を描かせようとしたらどのような図形をどんな配置で用いたらいいだろう。考えてみて下さいね!
3本の直線を使わないで、ある意味歪んだ、一見関係なさそうな図形を利用することによって脳に三角形を作り出させることができるかな? これをマイムに置き換えて簡単に言い表せば
「見ている観客が想像力で
マイム役者が何をやっているのかがわかるように、その動きやポーズを工夫して
創造、創作してゆくのがパントマイム」
なんだよ!! わかるかな?
もっと具体的に言おう。例えば観客が想像力で壁が見えるようにするには、マイムはどんな形の手でどんな動き(あるいは止まり方)をすればいいのだろうか? ということなんだ!!
ただし、カニッツァの三角形とマイムの場合では決定的に違うことがありますね。
それはカニッツァの三角形が平面上なのに対して、
マイムの場合は時間と空間(三次元)の中での「動き」なんだよね。
つまりマイムではその脳をガイドするエッセンスとなるものは紙の上の図形のように
平面図で分かるものではなく、あくまで三次元の「動きの世界」。
なので、静止画(例えば写真のような)ではあまりはっきり分からないということなんだ。

ためしに、マイム役者が何かをしているところを写真でとって見るとわかるよ。
たとえば壁をやっているところを写真にとっても壁はみえないんだよ! 不思議でしょ。
なぜならパントマイムのテクニックは動きの中で
「緊張して止める」ことと「弛緩、力を抜くこと」などの落差、違いによって脳に「壁があるよ!」ってガイドを出しているからなんだよ。
具体的に例をお見せしましょう。
例えば、僕が目の前に設定した想像上の壁に寄りかかるのを見せようとするとしよう。
この時点でマイム演者である僕には
「実際に寄りかかるべき、体重を乗せても大丈夫な壁は存在していない」のです。
つまり、そのまま体重をかけたらたちまち体ごと前のめりに倒れちゃうのです。
だから必要になってくるのが、体重のバランスを保って、しかも目の前に想像した、
想像上の壁に体重をかけていることを、
見ている観客の脳が信じられるようなポジション、姿勢をとることですね。
つまりこれが目標とする三角形のためのガイドのようなものなのです。
もっとやさしく言えば、本当に人が壁に寄りかかった体勢から壁を取り除いてそのままでいる形をなんとか保つことですよね。
そのために僕は実際に寄りかかった時になる体勢を保つために、
実際には使うはずのない筋肉、バランスなどで代償表現してやるのです。
代償表現とはその代わりになるような別の表現をするということです。
では具体的にその表現手順を説明しましょう。
さあ、キミたちもためしにこのポーズ取ってみないかい?
これらの要所要所をわずかに強調してやると、見る人の脳のフォーカスのツボをガイドできて、その見ている脳が欠如部分を補って想像力を喚起して、先ほどの三角形のかわりに 「まるで実際に何か壁のようなものに寄りかかっているように見える」というリアリティー が生み出されてくるというわけなのですよ。
カニッツァの三角形がパックマン(食べかけのピザのような)などで現れたように、
マイムの体が作り出す体勢、体の形、重心のかけ方が
「寄りかかっている人間の姿勢、体の形」というものを見ている「脳」に補完させてより本当に体重ごと本物の壁により掛かっているというリアリティーが感じられるのですぞ!!!
つまり ここで脳の想像力で現れるのは三角形ではなく、寄り掛かっている壁なのです。わかるかな?
カニッツァの三角形とマイムが作り出す壁や寄り掛かりのテクニックの関係がわかったかな?

今まで見たこと読んだことなどを、
他の入り口を体験した人にわかるように説明してみよう。
お互いの経験を分かち合いながら、
その共通点、あるいは共感できること、疑問などなどを
話し合ってみよう。
さて、3種類の入り口から入って今まで様々な疑似体験をした生徒さんの仲間で、
それぞれの入り口から入った体験を分かち合って話し合ってみよう。
どんなことが書かれていた(あるいは見られたか)を紹介し、
その内容を話し合ってみましょう。
ここからは事前学習授業内にディスカッションタイム
それぞれの問いに対する答えを利用して、
他のチームに自分の入口の体験を分かち合ってディスカッションしてください。
他のチームの発表で面白いと思ったことなどはさらに深く質問してみよう。