芸術キャリア教育
事後学習ワークシート
– 学生用 –

Looking back and Looking forward!ー振り返り、そして未来を思い描いてみよう!ー

その1(約10分)

チームごとにカニッツァの三角形をちょっと復習してみよう。

チーム2のみなさんは特にこの考え方を読まれたので分かりやすいと思いますが、
他のチームのキミたちにもここで復習していただきたい。
下記の図を思い出してほしい。見事に自分の脳が真ん中に三角形を作っているよね!!
これを思い出して、舞台の最後のバイオリン弾きへのこの理論の応用を考えてみよう。

「カニッツァの三角形」
  • カニッツァの三角形で分かることは、人間の脳というのは、
    全てを綿密に表示しなくとも、

「その要所、エッセンシャルな部分のみを
ガイドとして提示してあげれば、
その他の欠如部分を自ら補い、経験によって全体像を作り上げる習性がある」
ということでしたね。

そして、その欠如部分を補うために人間の脳は自らの経験や知識を使って、能動的に、
積極的に参加するために、そこに現れた三角形は余計にインパクトを増す!!
これを再確認しましょう。
そしてこれらの理論がパントマイムで見えない壁とか、
綱引きとか想像上に現れる物体を表現するために利用されているんだったね。
(詳しくは事前チョイ見のサイトのチーム2の項を見て下さいね)

でも、こうやってパントマイムは身体的なテクニックとして壁やロープなどの想像上の見えない物体を見せるだけじゃないんだよ。
この「よりリアルな表現」を生じさせる理論をさらに物語、あるいは感情表現の手段へと応用することによって、さらにそれらの深みが増して舞台によみがえり、
現実よりもさらに現実味をもった感情表現の世界が生まれることもあるんだよ。

この効果は、キミたちが見た舞台の最後の作品、「バイオリン弾き」が良い例なんだ。
僕、A君の個人的経験から作ったこのマイムを特別に解説しましょう。

バイオリン弾きが最後に家に帰り、ベッドで寝ていた子どもが息絶えていることを知った時、彼はお面をかぶっていましたね。
そしてその面は笑っている面でした。
だから亡くなった子どもを抱きかかえている時、顔はずっと笑顔です。
でもその笑顔の彼の体の他の部分は物凄い苦しみと悲しみを表現していました。

つまり見ている人が想像力で見えてくるカニッツァの(そこには実際に無い)三角形は、ここでは笑いの面の中にある悲しみ、苦しみの表情なのです。
そしてカニッツァの三角形でその三角形を浮き出させる脳へのガイドとなる
パックマンのような(食べかけのピザのような)形の役割をしているのが、バイオリン弾きの顔以外の手や胸やその他の部分の苦しみ、悲しみの表現なのです。
そのガイドによって、あえて笑っている面の中に、見ている人は自分の経験からの苦痛や悲愴の表情を想像し、浮き立たせるのです。

どうでしょうか? カニッツァの三角形とバイオリン弾きの関係が分かったかな?
それと同時に、エヴァンゲリオンの場合のように、ここの悲しい場面で「笑っている表情」と「美しいヴァイオリンの曲」というコントラストが劇的な効果を生み出していますね。
(より詳しく、そのプロセスなどを知りたい人はこの項の最後の「バイオリン弾き 制作秘話」にあるA君の文章を読んでみよう!!

その2(約30分)

事前学習のグループごとに分かれ、ディスカッションしよう。

前出の文章に関して、ワークシートの質問に答えながら、それぞれのチームの知識や経験を利用して話し合おう。前出の文章に加え、舞台公演を見たあとの、職業観の変化、深まり、あるいは疑問などを素直に語り合ってください。

☆キミたちがこの舞台の間に感じたこと、発見したことなどを話し合って確認してみようね。これは良いことばかりでなくてもいいんだよ。
残念だったことでもよいし、わからなかったこと、驚いたこと、発見したこと、そしてもちろん感動したこと、学んだこと… 何でもいいから書き出してみようよ。

a)パントマイムという芸術についての発見

▶︎今までキミたちがもっていたパントマイムのイメージと同じだったろうか。
それともずいぶん違っていただろうか。違っていたならどこがどうだったかな?

 
 
 
 
 
 
b)パントマイムという職業、あるいはそれにかかわる周りのスタッフの職業についての発見。出演者に関しての感想(トーク、質疑応答に関して)

▶︎出演者、およびそのスタッフに話を直接きいたりして思ったこと、感じたことを素直にそのまま書き出してみよう。マイムを職業として見られたかどうか。
どんな苦労があったのだろう。どんな工夫があったのだろうか。

▶︎また、パントマイムと一言で言っても、それを舞台で演じること以外に、A君はマイムをベース(基本)にどんな仕事を展開しているだろうか? 考えてみよう。
仕事には様々な可能性があるよね!!

 
 
 
 
 
 
c)ショーの構成、組み立てに関する感想。

▶︎この舞台の構成、順序、その組み立てなど、どんな工夫があったのだろうか。具体的に、その順番を思い出し、その作品のまえにどんなことが演者によって語られたかを考えてみよう。

 
 
 
 
 
 
d)予期していなかったことなどなど

▶︎予期せずに驚いたこと、びっくりしたこと、などなど書き出そう。

 
 
 
 
 
 
e)この舞台をたった一言で表すとしたら?

▶︎様々な感じたこと、見たこと、思ったことを一言で表すとどうなるかな?

▶︎もしも自分の家族にこないだのパントマイムの舞台はどうだった?
と聞かれたらなんと伝えるか?

 
 
 
 
 
 
f)なんでキミたちの先生方はこの舞台をあえて選んだと思う?

▶︎高校の芸術鑑賞会には何百という候補の作品のパンフレットが先生方に送られてきます。それこそ段ボールの箱に何箱も!!
その中からあえてキミたちの先生方がこの作品を選んだのはなぜだろうか?
想像でも結構ですから書いてみよう。

 
 
 
 
 
 
g)この舞台はキミたちの人生において、どんな位置づけになるだろうか?

▶︎この舞台はほんの90分くらいですが、果たしてキミたちの長い長い人生においてはどんな意味合いがあっただろうか。
なければなくてもいいです。

 
 
 
 
 
 

その3(約10分)

クラス全員で集まり、感想を共有しよう!!
時間的余裕があれば、ぜひ!!

  • a)クラス全体で集まり、それぞれのグループの感想を分かち合いましょう。
  • b)それぞれの感想を聞いて、また今まで以上の発見があれば、それをみんなと分かち合ってみましょう。
  • c)キミたちの先生にも、大人からの見方、感想を分かち合ってもらいましょう。

カンジヤマ・マイムから若者へ– A Message to the Youth from Kanjiyama Mime –

将来のビジョンが描けていたわけじゃない。
突出した才能に恵まれていたわけじゃない。

私たちは学生のときに純粋に夢を追い求めていたわけではありません。
むしろ自分の能力や評価に直面して諦めたことがたくさんありました。
何度も大きな挫折をくぐり抜けて、今、私たちはカンジヤマ・マイムとして
キミの前で表現し、感動をわかちあう機会を持てていることが本当に幸せです。

今から42年前、カンジヤマAこと藤倉健雄は、
大学生の時に身体が動かなくなるほどの衝撃を受けました。
パントマイムの巨匠マルセル・マルソーの舞台を観て
自分自身の「感動の種」に触れることができた衝撃的な体験でした。

今から二十数年前、カンジヤマBこと渡邊ありさは、
テストでは無意識に眠ってしまうほど、勉強が苦手な女の子でした。
好きなのは、動くこと、絵を描くこと、空想世界にふけること。
そんなありさが打ち込み続けたのがダンスでした。

しかしダンサーという仕事が本当に自分が歩むべき道なのか、わかりませんでした。
ダンスだけではしっくりこない、だけど他のやりたいことも掴めない。
そんなある時、自分を最大限に生かせる可能性を秘めた舞台に出会いました。
生まれて初めて「心からやりたいこと」に出会えた瞬間でした。
その舞台が、今の師であるカンジヤマAのパントマイムでした。

不器用な私たちの共通の「才能」をあえて一つ挙げるとしたら
「自分の感動した体験を信じ続けること」です。
私たちの芸の一つ一つにはたくさんの憧れと想いが詰まっています。
人や文化を、そして感動体験そのものを愛し、尊敬し続けてきました。
そして夢を実現している自分を描き、信じ続けてきました。

パントマイムを通してキミの感性にインパクトを与え続ける。
その姿勢、行為の総称が「カンジヤマ・マイム」です。

私たちがパントマイムに出逢い、生き甲斐を得たように、
キミが私たちの舞台を通して、自分の「感動の種」を発見してください。
そしてあなたの「感動の種」を信じ続けてください。
なりたい自分、実現したいことにチャレンジしてみてください。
そこにはたくさんの人生の宝物が隠されています。

その一歩を、今、踏み出してください。
キミは必ず大切なものに出逢うでしょう。

Grab it! キミの今をつかめ!

「バイオリン弾き 制作秘話」

なぜ、そしてどのようにしてパントマイム作品
「バイオリン弾き」を作ったのか。

その昔、僕、A君の親友の女性の幼い息子(12歳)が
ある日突然事故で亡くなってしまったんだ。
盲腸の手術中に医師の麻酔ミスでショック死してしまったんだ。
その母親の苦痛、悲しみは想像を絶するものだったというのはわかるよね?
でもね、その子のお葬式の時、喪主としてその母親は、最後の挨拶にきた息子の友人
(小学校6年生)のみんなに必死に気丈に振る舞おうとして、笑顔で挨拶していたんだ。その母親の笑顔はとても見ていて痛々しかったことは想像できるよね?

僕はこの経験を何とかマイムのテーマにして作品を作ろうとしていたんだ。
マイムで生きてゆくことを決心した僕にとってはすべてのことがマイムにできなくては、
やっている意味がなかった。
この母親の苦痛の激しさを舞台上に表現するには
どのような手段があるのだろうかって考え続けたんだ。

それには単に現実のまま演じて、
僕が舞台で泣きじゃくってみせても、それはしょせん他人のモノマネの嘘になるし、
そのエッセンスは決してお客さんには伝わらないよね。
この問題を解決するために、しばらく僕は暗中模索、五里霧中の日々を送ったんだ。
これは本当に難しい挑戦だった。
親子の絆、愛情を表現しつつ、クライマックスの別れをどのように表現したら
最も現実に近いエッセンス(真髄)が得られるのだろうかってね。

長い長い試行錯誤の末、
ある日「泣く」という感情の表現を徹底的に否定する(欠如させてしまう)ことによってこの悲しみを伝えられないだろうかという「創造的なゆがみ:クリエーティブ・ディストーション」の発想(チーム2の項参照)を試してみた。
言い換えれば、泣きたい衝動が何かによって押し殺され、抑制されつつも、
その内面の苦痛の信号(見ている人の脳へのガイド)を他に代償表現として行うことによって意図的に欠如させた泣き顔を観客が自らの経験で補うことができないかという発想のもとにこれを試みてみたのです。
結果はご覧になったように「仮面」「お面」という、
顔の表情を固定してお面に見せるマイムのテクニックを使った作品となりました。

ここでキミたちが見た「バイオリン弾き」をおさらいしよう。

男が自宅で病床にいる幼い息子を看護している。
やがて子どもを寝かしつけ、自分は帽子とバイオリンをもって外へ出かける。
男の職業は大道芸人のバイオリン弾き。大道でバイオリンを弾き始める。
最初は見物の通行人を相手にしているが、やがて、演奏中に自分の世界に入り、
そのバイオリンを持つ手が徐々に息子を抱く手に重なって行く。
白昼夢の中、男はバイオリンの音の中で息子と戯れ、
ひと時をそのふれあいと喜びに浸る。
やがて曲を弾き終わった彼は、路上の帽子に入れられた投げ銭を集め、帰路に就く。

途中おもちゃ屋に寄り、様々なおもちゃを見るが、やがて1つの「笑いのお面」が目にとまる。それを購入し、急いで家に帰る。
家にそっと入り、バイオリンを置き、帽子を置いて、面をかぶり、
その笑いの面で子どもを楽しませようとベッドサイドに近づく。

「ただいま~! ほら、見てごらん!(もちろんセリフではなくパントマイムで)」
男は顔に被った笑いの面をかざすが、子どもの反応がない。
やがて面をつけたまま男は子どもを抱き、彼の息が絶えていることを知る。
(以下、顔は笑いの面を保ちつつ)子どもの死を信じることができずに子どもを抱きかかえ、眠りから起こさんとばかり小さな体を必死に揺さぶり、子の背中を叩く男… 笑顔の仮面、それと対照的にその体のゆがみが悲劇を受け入れられない無我夢中の悲愴な父親の苦痛、ショックを代弁しているのだ(脳へのガイド)。
笑いの面の背後に苦痛にうめく体。

果たして観客はこの笑いの面の奥にどのような表情を補って、
補完しているのでしょうか?
(つまりこの本当は見えないのに見えてくる仮面の裏の表情が
カニッツァでいえば白い三角形なのだ!!

「カニッツァの三角形」

そしてパックマンのような(食べかけのピザのような)図に当たるのが、
苦痛に震える手や肩、その他の体なんだよ。
その見えない三角形(仮面の内側)に見ている人は個人的な表情、つまり自分の苦しかったり、悲しかったりした時の顔をたぶん想像して当てはめるかもしれないね)

やがて、その体の動きは絶望へと変わり、この頭を支えていた男の片手がだらりと下へ落ちる。(つまり子どもが首を垂れている代償表現)子どもの体をゆっくりと寝かせ、
シーツをかけてやる。
そのままぐったりと床に腰を下ろし、笑いの面のまま泣きじゃくる男の体。
やがて顔に付けた面に気づき、ゆっくりとその笑いの面に手をかけて外す。
その中に涙にゆがんだ顔が徐々に現れ始めるとともに彼の頭の中のバイオリンの曲が響き始め、顔に当てられたスポットがゆっくりとフェードアウトする。
暗転の中、バイオリンの音楽だけが鳴り響く(終わり)

以上がキミたちが最後にみた「バイオリン弾き」というパントマイムの作品です。
いかがでしたか?
「カニッツァの三角形」とこの作品との関係がおわかりいただけたでしょうか?

実はこれを初めてつくった時、この作品の長さは40分くらいでした。
僕の中の物語を詳細に演じました。
でも、パントマイムのすごさは、
いかに物事をエッセンス(本当に大事なこと)だけにしぼっていくことだと、
僕は師匠、トニー・モンタナロ氏に言われ続けた。
そして30年以上もこの一つのパントマイムを改良し続けたのですよ。
無駄なものを一切省きつづけました。
今ではそのエッセンスだけが残り、作品は約8分となっています。
でもこの8分には僕の過去の辛い思い出と、
30年以上の試行錯誤がおり込まれているのです。